■ 皆の力 ■
皆の力の絵  「おおい、次の組、早よ前の組を起こさんと寝られへんぞ」
 鼻の穴まで白くなって、眼鏡の者は、白くなったレンズの真ん中から目だけが見えている。中には、ウツラウツラしている者もいる。
「起こしても起きひんで」
 私に訴える妹。階段も踊り場も餅の取り粉で、霜が降りたように真っ白になっている中を、皆が眠りこけている所へ行く。
「おい、起きんと次のもんが寝られへんぞ」
 揺り起こすが、交代要員が起きるのを待ちかねて、次の交代要員が布団の横で寝てしまう。
「おい、仕事がとまってしまう。起きぃ」
 無理やり連れて作業場に下りる。


 私が高校二年生の冬、十二月二十八日午前二時頃のことである。
 前の年、父が見よう見まねで餅製造設備を完成させた。家族が皆で製造の重要な部分の役割を分担し、 念願の餅自家製造を開始して二年目のことである。
 小学校一年生から、さまざまに仕込まれてきた私達兄妹は、柔軟に仕事をこなせるようになってはいたが、 この年末の餅つきだけは、短期集中、家族だけでは全然手が足りない。普段に手伝ってくれている近くの従弟、 その両親すなわち叔父、叔母、母の田舎の岡山からも、二人ほど従兄弟に交代でアルバイトに来てもらった。 父以下総勢十名あまりの態勢である。
 この人数を色々に組み合わせて、米洗い、蒸篭への盛り込み、杵取り、餅加工などそれぞれの作業を進めた。 一番手間のかかる加工グループは、二組編成にして、交互に寝ることにし、寝床を一組分だけにしておいたのである。
 「おい、起きぃ」は、その就寝をめぐるギリギリの状況のひとこまである。


 クリスマス商戦の終わるのを待ちかねて、四斗樽を四つ、オールのような米を研ぐ棒、そして五、六十杯の餅箱を、 父と冷たい水で一斉に洗いだす。餅を干す棚をボルトで組み立てるなど、餅製造の一連の作業が始まる。
 米屋からドンドン運び込まれる餅米を収納する。蒸篭を出して水洗いし、秤を出して、餅のとり粉を缶に用意する。 配達先を書いた仕分け用の名札を整える。父、母、私、妹二人の家族五人で、次々と準備が進められてゆく。
 こんな作業をしながら、私の頭の中では、これから先一週間の、戦場のような餅製造作業の段取りと人員配置が段々と練り上げられてゆく。 父のやりかた、考え方は、小さい時からの共同作業で十分に教えられているから、まさに以心伝心。
 二十四日の大量のクリスマスケーキの配達が終わり、二十五日に餅の注文取りがほぼ終わると、二十六日午前にはさっそく、 餡(あん)餅等の特殊な餅の製造が始まる。この頃は、まだ家族五人と近くの従弟だけ。
 試運転的に、米を盛り、蒸して、搗いて、計って、仕分けして、形に整えて、干してゆく。そのつど発生した問題は、 それぞれの担当者が手直しをする。
 そうこうする内に、田舎の従兄弟達が到着。さっそく作業衣に着替えてもらい、あらましの作業手順などを説明。 いつの間にか、母は、食卓が作業台に転用されて、何も無い土間で、家族及び従兄弟達全員の食事を準備している。


 翌二十七日は、餅製造の第一の山である。大きな米の袋から米を四斗樽にあけ、オールのような棒で研ぎ、 そんな樽を二つ、三つと仕込んでゆく。一定の時間が経つと、その米を大きな篩(ふるい)にとって、蒸篭に一定量ずつ盛ってゆく。 蒸篭盛りの私は、蒸気の様子を見ながら、その蒸篭を順次積み上げてゆく。その間、まもなく始まる餅との格闘に備えて、 ある者は立ち、ある者は座って、親戚同士しばしおしゃべり。


 一番上の蒸篭から、具合のよい蒸気が上がり始めると、さあ始まりである。杵取りの母は、石臼に開けられた蒸し米を搗き始める。 大きな杵がドカンドカンと上下し、器用に餅に仕上がってゆく。やがて母は、ガタンと杵を止めて、
「はい」
 でき上がった餅を取り粉をひいた作業台に持ってくる。これをスケッパーで切り分け、作業台の周りで待っている皆の前に転がす。
 普段餅になれている妹や、昨年来た従姉妹が、これをお鏡に加工する。熱い餅を、取り粉が入り込まないように、 要領よく丸めて形を整えるのは、大分熟練を要する。時間をかけ過ぎると、形が決まらなくなる。できあがれば、 道の外においたベンチの上で、冬でも扇風機をかけて急速に冷ます。もたもたしていると形が崩れてしまう。


 お鏡を懸命に加工している内に、既に次の蒸篭の蒸気が上がってくる。二年目とはいっても、仕事の始まりで、まだ皆の調子が出ない。
「お母ちゃん、次は子餅や」
 手空きの従姉妹達にも指示。
「次は子餅四升」
 先ほどのお鏡が終わるかどうか、子餅用の名札が整うかどうかという時に、
「はい、子餅」
 もう作業台の上に餅が来る。私は急いで秤分けて、
「はい、山本さん、子餅」
 スケッパーで子餅の大きさに切り分けて、作業台に次々と転がす。従姉妹たちは、懸命に子餅に丸めて餅蓋に並べてゆく。
 数が多いから、冗談の口数もだんだん少なくなってくる。お鏡をようやく作り終えた者も、手間のかかる子餅作りに加わる。 まだ丸め終えぬうちに、
「はい次、依岡さん。子餅」
「ええー」
 と、声にならぬ、声。
まだ子餅の残りができ上がっていないのに、もう蒸気は盛んに上がり、このままでは蒸しが進んでしまう。
「よし、少し早いが、先に、のしにいこう」
 決断した私は、蒸篭を上げて、母に
「次は、のし」
 前のお客さんの子餅加工を終えていない皆の、恨むような目を尻目に、続きの子餅分を切り分け、次々と転がす。
「前の分と一緒になるやん」
「さっさとせーへんからや」
 たちどころに、母が
「はい、のし」
 なれている妹は、
「あぁ、よかった」
 と、安堵の声。初めての者は怪訝な顔で妹を見る。


 「はい、一升のし、四枚。山田さん、木口さん、松村さん、吉川さん」
 分かっている者は、馴れた手つきで餅蓋の上に伸してゆく。さきほど怪訝な顔をした者も、のし餅は子餅と違って格段に手間がかからず、 作業が楽なことが分り、
「あぁ、そうやったんか」
 見よう見まねで、のし餅を作ってゆく。あんな調子で忙しい子餅が連続したら、大変なところ。この簡単なのし餅で一呼吸。 途切れていた親戚同士の冗談も復活。
 のし分を切り分けるや否や、私は、早めに次の蒸篭を準備して、直ちに母へ
「次は、お鏡」
 搗き過ぎないよう注意しながら母は、たちまち搗きあげ、
「はい、お鏡」
 少しばかり息の継げた皆に、私は指示する。
「次は、小さいお鏡がようけや。知らんもんは、聞いて練習して」
「五合重ね、八つ」
「違う、違う。そんなに取り粉つこうたら、そこから割れてしまう」
「そやかて、粉つかわんと、手についてしまうやん」
「せーから、練習や」
 和気あいあいの指導の内に、たちまち皆小さなお鏡は、苦もなくできるようになるから、器用なものだ。


 そうこうするうちに、外から
「干し場がない」
「箱がじゃまや」
「干し場の順番を考えて、どうしても詰まる時は、ジュースの箱で臨時に台をつくれ」
 大声で指示。
「お鏡は、いつまで干しとくん? お鏡の扇風機が足りん」
「そっと触って、干し場に持って行けるかどうか、早よ、判断せーよ。間に合わんのやったら、店の方はインターホンにして、 店番呼んで、うちわであおがせ」
 妹に鏡餅の流れ管理を徹底させる。


 「皆に作業を分担させ。そうやなかったら、お前が参ってしまうで」
「人に指示するもんは、一歩先を読むんや」
 普段の父の言葉が思い出される。理解することと実行することの違いを痛感する。


 「見えへんで」
 と言う声で、我に返った。慌しく切り盛りしている内に日が暮れて、外での作業ができなくなっていた。 父が、いくつもの電球や延長コードのついたタップを準備していたのを急に思い出したが、蒸篭盛りはやめられない。 昼のうちに照明の打ち合わせをしておかなければならなかった。
 外を見ると、父が直接指示をしたのか、道路の上にコードを伸ばして電灯がつけられている。 今では考えられないことだが、家の横の公道上に電気コードを伸ばして、道の真ん中に電球をつけるのである。 よく近所の人が文句を言わなかったものである。大型のトラックでも来たら、どうするつもりだったのだろう。 父の大胆な作戦に感心する。


 「雨や」
ようやく電気をつけて、内、外の作業を続行させたのに、ここにきて無情の雨。急いで外に出て見ると、 苦心して仕上げた餅に、雨が降りかかっている。電気に照らされた餅に、ポツポツと斑点ができている。
「おおい、皆来てくれ」
「そこのカバーをくれ」
「早よせー。なんでもええから、掛けとけ」
「お鏡は中に入れ」
「濡れた布巾持って来い。早よ、点々を拭け」
 総動員で雨対策。父の指示に従い、十分に雨準備をしていたつもりだが、やはり抜けがあった。 父が購入して、端々に紐をつけていたカバーで、ようやく干し場の餅と、餅を収めた箱を覆うことができた。


 戻って見ると、蒸篭からは盛んな蒸気が上がっている。蒸し過ぎだ。
「ぼやぼやすな。蒸し過ぎや。子餅頑張れ」
 雨仕舞いで外にいる皆を呼び戻し、母が大急ぎで搗きあげる餅を、急いで切り分け、子餅用に小分けして転がす。
「気合入れてやれよ。さっさとせー」
 今日も加勢に来てくれた近所の叔父は、米洗いと蒸篭への盛り込みを、叔母は母の杵取りを交代してくれる。 ずっと低い椅子に腰掛けて杵取りをし、いい加減疲れているはずの母は、休むどころか、たまりにたまっている子餅作りを応援する。 さすがに母の手つきは鮮やか。皆にはスケッパーで小さく切り分けなければならないところを、母は
「いちいち切らんでええ。お客さん毎に切ってくれたらええ」
 そのお客さん別に切り分けられた大きな塊りの端を、右手で握り、親指と人差し指を輪にして、キュッと閉めると、 左手でその切れた小さい玉を、ポンと餅蓋の上に置く。なんと、いちいち丸めなくても、置いたままできれいな、 全く同じ大きさの子餅ができ上がっている。しかも、一切の取り粉なしで。その早いこと、早いこと。 見事と、皆が見とれている内に、大半の子餅を作り上げた。
「おい、見とれとらんと、自分の分を丸めろ」
 かくして、危機を脱出。さあ次、と覚悟を新たにした時、
「ジー」
 目覚ましが鳴った。ドッと疲れが出て、私は、椅子に座り込んだ。
 釜の水を追加する時間である。釜に水を追加すれば、再び蒸気が上がるまで一切の作業は、休止。


 「おおい、休憩」
「みかん出せ」
「アイスもくれ」
 途端に上がる歓声。それまでの皆の疲れきった顔が、うそのように輝きだす。まるで修学旅行のようにハシャギ出し、お喋りが始まる。
 伝票を繰りながら計画を見直し、次の作業の計画を立てる私。とてもじゃないが、そんなお喋りに加わる余裕はない。
 そんな私を尻目に。父は甥や姪と楽しげに語らい、冗談を言って笑わせる。


 バタバタする内に、時刻は深夜の二時近く。疲れ果てて、コックリコックリする者も出てくる。あくびばかりして、 手が進まない者も。餅の蒸気に当り過ぎて、なんと吐き気を催すものも出てきた。
「この辺が限界かな」と、考えた私は、
「はい、一班は寝て」
「うれしい」
 あっと言う間に一班のメンバーはいなくなった。急に淋しくなった作業場で、残りのメンバーは、少し気勢を削がれたが、
「はい、子餅」
「はい、お鏡」
「はい、のし」


 黙々と進む内、皆の手がえらく早くなった。
「リーン」
 目覚ましの音。二班のメンバーは、今か今かと時計を見ながら、眠気と戦っていたのだ。そして、
「後三十分」
「後十分」
 終了時間が近づくと、がぜん元気が出て、早く終えようと、ハッスルしていたのである。
「おおい、次の組、早よ前の組を起こさんと寝られへんぞ」


 次の組とて、寝ぼけ眼で、とてもすぐには仕事にならない。
「ほれ、ジュースでも飲め」
「ほら、サッサとせんと、餅が固まるぞ」
なだめすかして、調子を出させる。


 かくするうち、外が明るくなり始める。もう二十八日になったのだ。間もなく、配達を始める時間だ。 早く二十八日分の製造を終わらせないと。
 再び、一班、二班の睡眠交代をして、二班の作業を父に頼み、私はしばらくの間仮眠。


 父に起こしてもらって、大急ぎで、配達計画を立て、車と自転車で配達をする。効率よく回り、 また、集金した代金を落とさないよう、睡眠不足で怪我などしないよう注意しながら。この車は、 昨年単車を買い換えた時の抽選で当ったものである。配達の仕方が一変する出来事であった。家族で大喜びしたものである。
 配達の山を越える頃から、併行して、翌二十九日の餅製造を始める。また翌日も。
 二十八日、二十九日、三十日、と進むに従い、睡眠不足、疲労が増し、些細なことで言い合いになったり、 指示を聞き逃すことが多くなる。一人だけ、むっつりと黙り込んで、皆が気を使うようになったりする。 こんな時、皆の気持ちを引き立て、結束して一連の作業を円滑に進めるのは、高校生にとって結構骨が折れた。


 「言うとおりやったら、うまくできた」
「あいつの言うことに間違いはない」
 皆にこのように思われることが大切だ。
「口ばっかりではどんなに言うても、人はついてこん」
 何度も父に教えられていたが、なかなか実行できなかった。
「なんでやろ。俺がこんなにやっとんのに」
 悩むことが多かった。


 この年末約一週間の餅製造は、小さい時からの父の教えを総復習する大きな機会であった。
「家族はいつも助け合う」
「やろうと思えば何でもできる」
「実行の前には十分な計画と準備が必要」
 ………
 厳しい小売商売の中で、真剣に教えてくれたことが、走馬灯のように浮かんでくる。


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