| ■ 卒業式 ■ |
「明日は、早よ帰れよ」「明日は、卒業式や」 「せやから、早よ帰れ言うとんや」 「卒業式の後は、謝恩会や」 「それに赤飯を持って行くんや」 「…」 「わかったな」 駄目を押す父に、私はやっと気がついた。 「はい…」 それしか言いようがない。 私の小学校卒業式前日の夜のことであった。 自分の卒業式の後の謝恩会用赤飯を、卒業する本人の私が配達する、というのである。 考えてみれば、外に道はないのであるが、父から念を押されるまでは、思いもよらないことだった。 それにしても、卒業式の日に早く帰れとは、という複雑な思いが残った。 パンや牛乳の配達だけから、餅、饅頭、団子などの製造販売へと少し商売が大きくなっていた。 ようやく「愛児園」という幼稚園から、赤飯のまとまった注文を貰えたのが、その前年のことだった。 それから父がどのように努力をしたのかは知らないが、ついに息子の通う小学校の謝恩会用の赤飯を受注するまでにこぎつけたのである。 しかし、うかつにも、自分の卒業の謝恩会に、自分が赤飯を配達することになっているとは考えもしなかった。 自転車を運転して配達できるのは、父と小学六年の私しかいないのである。朝、家族で一斉にパン、牛乳を配達した後、 朝食を取るやいなや、国鉄一駅以上離れた六甲方面に、父はパンの定期配達に行かなければならない。 卒業式のあと謝恩会の始まる頃に配達できるのは、私しかいないのである。 返事はしたものの、考え込んでしまった。 小学一年の頃から、父の手伝いをして毎日のパン、牛乳の配達、彼岸団子、柏餅、土用餅など紋日 (祝い事、祭りなど、何か特別の事のある日)の饅頭配達、正月餅の注文配達その他数限りなく、お客さんに接触していた。 「さかた屋です」 当然同級生の家にも訪れて、注文をもらったり、配達したりしてきた。が、今回は、同級生の家どころか、同級生全員と、 その父兄のいる謝恩会に赤飯を届けるのである。 恥ずかしいと思うよりも、 「卒業式の服装のまま、配達するんかなぁ」 「学校のどこへ持っていくんかなぁ」 どういうわけか、配達の仕方の方に気がいって、いろいろ思案した記憶がある。 「服のことどころとちゃう。ほんまに俺か?」 「しょうがないやろ。誰がおるんや」 自問自答し、自分を納得させた。 卒業式も間近になった頃のある日、私は先生から、中学校の入学式で新入生総代に選ばれ、 宣誓を読み上げることになったと告げられた。クラスの皆もこのことを知っていた。 そのことと、謝恩会とは何も関係はないが、何となく、いつまでも、私は赤飯の配達にこだわっていた。 父は、私が新入生総代に選ばれたことをとても喜んだ。先生に渡された見事な筆書きの宣誓書を、何度も何度も読み返し、 「明朗に、堂々と読めよ」 練習する私を励ましてくれた。 厳しい生活環境の中で、一生懸命私達を育ててくれた父。まれに見る秀才といわれながら、たくさんの弟妹達のことを考えて、 自ら進学を諦め、親に不満めいたことを何も言わなかったという父。私には、この父の我がことのような喜びようが分る気がした。 この父の喜びようを思い返している内に、 「そうや、新入生総代が赤飯を配達するんや。親を助けて配達するんが、どこが恥ずかしんや。ようし、堂々と配達しよう」 覚悟を決めて眠りについた。 翌日、卒業式のあと、私は大急ぎで家に帰った。母が早朝から、パン配達の準備をしながら作り上げた赤飯の折を、 餅箱何杯にも詰めて、学校へ取って返した。 「先生、赤飯持ってきました」 「おう、よう持ってきたな」 先生方も、用務員のおじさんも手伝ってくれて、給食室にまず降ろした。謝恩会場の講堂に運ぼうとすると、 「それはええ。早よ教室に戻れ」 担任の先生に言われ、大急ぎで教室に戻った。戻りながら、急に肩の力が抜けたような感じがした。 てっきり同級生や父兄がいる講堂まで赤飯を運ばなければならない、と覚悟していたのに。真実ホッとすると共に、 向かう相手が急にいなくなったような気持ちになった。 「おい、どこいっとったんや」 「あぁ、謝恩会の赤飯を、家から配達してきたんや」 胸を張って、気負うこともなく、私は答えた。 「ふーん」 皆は、それ以上特に言うこともなく、まして昨夜の私の心情など知る由もなかった。 校内放送の指示に従い、講堂に入って着席すると、先ほど自分が配達した赤飯が置かれている。 PTAの役員達が並べてくれたのだろう。昨夜来の出来事を思い起こしながら、 「俺が持ってきたんを、知っとんかな」 などと考えていた。 私が四、五才の頃、父が馴れないパンの小売を始めた時は、自転車もなく、手製のパン箱に斜めにロープをかけ、 肩に担いで配達していたが、頭にはソフト帽、シャツにはネクタイが締められていた。子供心に、 「変わった格好やなぁ」 と、思っていた。 その父が、借金をして建てた小さな店に引っ越す頃には、作業帽を被り、色物のシャツを着て、国防色のズボンをはき、 「お父ちゃん、ちょっとは着るもん気ぃつけたら」 と、母に言われる程に、かまわなくなっていた。 軍需会社の幹部として、それなりにやっていた父が、一転してパンの小売商を始めるには、 言うに言えない精神的な葛藤があったのだろう。会社勤めのスタイルを捨て切れなかったのである。しかしある時、決断したのであろう、 「いつまでも過去にこだわっとってもしようがない。早く踏ん切りをつけなあかん」 「人は外見とちゃう。中身で勝負や。自信を持ってやろう」 何となく、そんな父の変わった理由が分かった気がした。きちっと髪を分け、背広にネクタイを締めてアルバムに納められた写真の父と、 今の父との違いが分かったように思った。 我ながら一段、大人になったように思う卒業式であった。 あの卒業式前日の、なんでもないようで、断固とした父の指示がなければ、こんな卒業式を経験することはできなかった。 |
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