■ 苦餅 ■
苦餅の絵  「このままやと、二十九日になってしまうのが出る。どうする?」
「伝票を差し替えて、絶対あかんとこを先にしてもらえ。配達順も考えながらやぞ」
 繰り越す量が多くて、判断がつかないお客さんがある。
「どうしても二十九日になるとこへは、どう言うん?」
「しょうがない。苦餅やのうて、福餅です、言うて了解してもらうから」


   私が、小学六年の冬休み、十二月二十八日、夕刻八時頃のことである。各小売店からの正月用餅のもちつきを請負っている店の、 作業所で交渉している私と、自分の店にいる父との間での電話のやり取りである。当時、二十九日に配達された餅は、 「苦餅(くもち)」と言って、嫌われていた。極端なお客さんの場合は、注文をキャンセルされて、代金を支払ってもらえないこともあった。 そのために、餅の納期は、二十九日は極端に少なく、その前後の二十八日と三十日、特に三十日が圧倒的に多かった。 少しでも軟らかい方がいいと言うお客さんが多いからである。
 こんな事情のために、二十八日の夕刻は、二十八日中に配達できるか、翌二十九日配達になって、 悪くすると代金を受け取れなくなるか、の瀬戸際となっていた。ついている作業所では、どの店も
「俺んところを先にしてくれ」
「何言うとんや、わしんとこが先や」
 戦場のように殺気立っていた。
 お客さんに餅を届けるためには、餅を直接配達する前後に、空き箱や餅米を餅つき店へ運ぶ、 そして餅つき店ででき上がった餅を引き取ってくるという時間のかかる仕事が必要であった。仕事のやり繰りで、 時には父と交代で小六の私が、その餅つき店に「さかた屋」の代表として臨まなければならなかった。 そんな時「苦餅」の問題が起こると、どうしても子供だと足元を見られて、後回しにされ、自分の店の「苦餅」が多くなってしまう。


 瀬戸際でこんなことにならないように、二十八日、二十九日、三十日の三日間の注文は、いろいろ工夫して取らなければならない。
 忙しい年末ぎりぎりを避けるために、できるだけ二十八日の注文を多く取る。ただし、多すぎて翌日二十九日にずれ込み、 「苦餅」にならないように、もしずれ込んだ場合でも、「苦餅」を嫌わないで受け取ってくれるお客さんを念頭に置きながらである。
 二十九日は、「苦餅」を気にしないお客さんの注文をできるだけ多く取る。
 三十日は、年末も押し詰まって、何かと仕事が多くなるから、余り多く注文を取らないようにする。 しかし、正月に柔らかい餅を、と考えるお客さんは多い。三十日を少なくしようとし過ぎると、かえって注文を断られて、 元も子もなくなる。注文を少しでも多くしようとすると、どうしても三十日が多くなる。
 こんなふうに考えて、「苦餅」を気にするのかどうか、どうしても軟らかい餅がいいのかどうか、 夜遅くでも配達を受けてくれるのかどうかなど、お客さんの特性をつかみながら、いろいろ工夫して注文を取るのである。


 「早いほうが、丁寧でええお餅になります」
「早めに棒餅にして乾かしといたら、ちょうどお正月には切って食べられます」
「二十九日の餅でも、つくのは二十八日やから大丈夫です」
 ついには、逆に
「三十日の餅いうても、二十九日についてますけど…」
「苦餅」はいやだし、正月に餅が硬いと駄目、と頑張るお客さんもいる。
「三十日やないと、いらん」
「のし餅か棒餅なら、三十日でもできます」
 時間のかかる子餅は避けながら、注文そのものを断られないようにした。


 これらの言い方は、もちろん父から教わったものである。しかし、小さい子供が、受け売りで、 うわべの説明をしたからといって、大人のお客さんが簡単に納得してくれるはずもない。
「適当にごまかしよんやない。なんとか分かってもらうように、説明を工夫するんや」
 父は常に私に言い聞かせた。小さい子供に、適当に言い訳をするような癖をつけては大変、と父も必死だったのだろう。
 きわどいところであるが、私は、「正直に」と、「説明を工夫する」の微妙なバランスを、自分なりにつかみ、頑張った。
「困ったことにならんように、一生懸命説明するんや」


   このようにいろいろ苦労して注文を受けても、餅つき店の都合により、どうしても「苦餅」は発生する。 そして、家数、分量、配達順などいろいろな要素を考え合わせて調整しなければならない。伝票を差し替えたり、 配達の順を変更したり、苦肉の策で「福餅です」と言い訳をするなど、注文を受ける時とは違った苦労があった。


 しかし、肝心の餅つき店で、しっかり交渉して、二十九日にずれこむことを防ぐのが一番である。冒頭の父とのやり取りの後、 私は懸命に交渉した。


 「あんたんとこの分は、もうこれ以上でけへん。よその店にも辛抱してもろとうさかいに」
 こう言われると、もう何も言えない。
「はぁ」
 父に電話で直接話してもらおうと電話をすると、
「その場におらんもんが言うても、丁寧に断られるだけや。伝票を見せて、実際困っとうところを説明せー」
 苦労して差し替えた伝票を見せて、
「やり繰りして、これだけ明日にまわしたけど、この三軒のお客さんだけは、絶対苦餅を引き取ってくれません。何とかお願いします」
 杵取りに大忙しの職人の頭に、ちょっと合間を見はからって説明する。


 「どこも同じやからなぁ」
 何とか話しは聞いてくれるが、戦場のような作業場で、
「この忙しいのに、邪魔や」
 と言わんばかりの視線に耐えて、なおも横に立っていると、
「あっちの店は、主人が何度も言うてくるからなぁ」


   急いで、父に電話、
「やっぱりお父ちゃんが言わなあかんみたいや」
 子供が大人に混じって交渉して、どれだけのことがあるかは、百も承知の父である。配達の関係で、 仕方なく長男の私に交渉させているのである。
「そんなことは分かっとる。役に立たんやっちゃなぁ。どこまで話したんや」
 伝票で具体的に説明して頼んだら、一応話しは聞いてくれたこと、粘っているが、どことも同じようで、 よそは主人が何度も言ってきているらしいことを伝えた。
「よし、そこまでしたんやったら、ちょっと替わってみぃ」
 父が、電話にでる。しばらくのやり取りのあと、
「しょうがありまへんなぁ。二軒だけは、なんとかしまっさ。けど、あと一軒は明日になりまっせ」
「替われ言うとるで」
 電話に出ると、
「一軒だけはしょうがないけど、その代わり、朝一にしてもらえ。時間がないから、わしはもう配達に行く。根性出して、話しせーよ」
 三軒とも二十八日にできなくていいのか、と一瞬思ったが、父としては、二軒が限度と考えたようである。 そのかわり、あと一軒は、二十九日でも、せめて朝一番の餅にして、急いで配達をしようとしているようだ。
「二十八日にできたんですけど、夜遅うなって、今急いで持ってきました」
 と説明するのであろう。


 父のせっかくの考えを何とかしなければならない。どう話すか思案していると、強い口調で、
「何や。まだあんのか」
 音を立てて蒸篭を操作しながら、聞いてきた。
「これぐらい、なんとかせんと」
 腹をくくって、いっきに頼んだ。
「今日の分が出来上がったら、お父ちゃんが取りに来ます。明日は自分が早よう取りにきますから、さっきの一軒は一番にしといてください」
 小学生が朝早くに来るというのをふびんに思ったのか、意外に
「しょうがないなぁ。わかった」
「ありがとう。明日早よう来ます」
 それまでにできている餅を急いで箱につめて、帰路に着いた。


 「どうしようもないと思っても、何か手がかりを作って話す」
「相手の話しをよく聞かないと、自分の主張を通す方法が見つからない」
「最後まで自分の言うことばかり言うのではなく、譲ることも大事だ」
 めまぐるしいやり取りの間に、ずいぶん多くのことを学んだ。後に考えたことであるが、この「苦餅」をめぐるやりとりで、 私はいわゆる「交渉」の原点を自分の中に築いたのだと思う。
   父の切実な場面での指導もさりながら、小学生であろうとも、とにかく交渉して「苦餅」を避けなければならないという、 言い訳の聞かない環境の力は大きいものであった。


 しかし、「苦餅」には、その言葉どおり、本当に苦しめられた。


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