■ 中学生を連れて ■
中学生を連れての絵  「ああ、さかた屋が行く。もう年末やなぁ」
 そんな声が聞こえてくる。しかし、寒風にあおられて前後左右に自転車がゆれる。必死でハンドルの上に前かがみになって体重をかけ、 荷台の十三杯の餅箱に負けないように頑張る。少し晴れがましいような、しかし前途への不安が募る、複雑な心境であった。


 それは、小学校六年生の冬休み、十二月二十六日のことである。
 「強力号」という荷物運搬用の頑丈な自転車の大きな荷台に、分厚い板で作られた空の餅箱を十三箱積んでいた。 同じように積んだアルバイトの中学二年生二人を連れて、電車一駅半程の道を強行した時のことである。
 昨年までは、父が直接アルバイトに指示をして、小学生の私も相応の箱を積んでついて行っていた。行く先は、 大掛かりな餅つき店。普段父は、パンや牛乳の配達などの外回りを中心にし、毎年十二月に入ると、 その上に正月餅の賃つきの請負の仕事を加えた。お客さんから餅米を預かり、その米を餅つき店に運び込んで加工してもらい、 できた餅をお客さんに届けるというやり方である。
 私が六年生になったのを機に、餅米と、できた餅の搬送を二組にして、規模を大きくしようと、父は計画したのである。 加工賃に少々の利益を乗せ、数を多くして収入を増やすという、利益の薄い小商いとしては、当然の考えであった。
 しかし、問題はもう一組を受け持たなければならない小六の私である。小学生と中学生との違いは、単なる年齢差を超えたかなりのものがある。 子供と、もう大人になりかけている者との違い。体の大きさも違うし、声の質も違う。何よりも態度が違う。
 この時より少し前、小学五年生の時のことである。パンの配達時に、やはり中学生のアルバイトを頼んだことがある。 その時は、中学生が父の代わりに自転車を操作して運搬し、特に私が中学生に何かを指示をするということはなかった。 停車する場所やその時間を伝え、中学生と私と二人で各戸に配達をすればよかった。その中学生から、 何かにつけて生意気だと意地悪をされて、怖い思いをしたことがあった。
 この体験があるので、いくら小六でも、二人の中学二年生に指示をして、合計三十杯余りの餅箱を遠くに運ぶことには、 かなりの抵抗があった。さらに、帰りには、でき上がっている餅を慎重に箱詰めして持ち帰らなければならないのである。
 しかし、もうけの薄い中、ようやく雇った中学生を有効に使うには、長男の私が父とは別の一班を編成するしかなく、 父が私の困惑を考えるはずもなかった。
「できる、でけへんの話しと違う。やるか、やらんかの話しや。年が下でも、礼儀をわきまえて、 指図すると言う立場をよう自覚して、率先してやったら、必ずできる」
 父はこう言い切る。
 「年が上であろうと、下であろうと、立場が上であろうと、下であろうと、人間とにかく礼儀が大事や。 どんな時でも礼儀正しくすることや」
 パンの配達をしている時、長い急な坂道で自転車の後押しをしている時、石段に腰掛けてちょっと休憩をしている時などに、 いろいろ例を引いて、何度となく話してくれたことがジワジワと沸いてきた。
「よし、やったろう」
 いつしか私はそんな気になってきた。
 それまでにやったことのないようなことを子供に指示するとき、父はいかにも本当にできそうに説明し、
「ふーん、やってみようか」
 とやる気を引き出すのが常であった。このときもそうである。
「でけへんのはやらんからや」
 子供の自尊心をくすぐるような語りかけも、私には効いたようだ。


「どの道筋がええんか」
「餅箱十三箱をどう積むんや」
「大きな中学生にどんな言い方をしたらええやろう」
「でき上がりが遅い時は、中学生と、どうやって待っとくんかなぁ」
「ばらばらにでき上がった餅をどうやってまとめようか」
「皆には、どの位積ませたらええんやろか」
 限りなく考えることがあった。


 当日、私は踏み台に乗って、荷台に十杯の箱を積み、両横に一杯づつ挟み込んだ。一人の中学生にその自転車を支えてもらい、
「ロープを投げて」
 荷台の前にまわったもう一人に自転車の後ろから、声を掛けた。


 指示をするのに、実際どのように言うか、大分迷った。
「投げてください」
 礼儀正しくはあっても、いちいち頼むようで、切羽詰った時にキッチリと言い切れないような気がする。
「投げろ」
 考えるまでもなく、年下のものとしては不適当だ。結局
「投げて」
「うん、これでいこ」
 二重にして前から箱ごしに投げられたロープの一方を、しごきながらフックにかけまわす。 もう一方を少し幅広く離した位置になるよう、波を打たせて投げを打つ。位置が決まる。
「はい」
 前の中学生に声を掛ける。前の中学生は、両手でしっかり引っ張り、その端をフックに繋ぎとめる。後ろの私は、 用意した棒で両方のロープに捻りを入れ、その下に更に一杯箱を押し込む。これで十三杯。この作業を、 さらに二回繰り返して、合計三台の自転車の出発準備は完了した。


 父に後ろを持ってもらって、私は自転車に乗った。
「前かがみになれよ」
 父に言われるまでもなく、そうしなければ前輪が浮いてしまう。父は、次々と中学生の自転車も後ろを支えてやって、自転車に乗せた。
「いくで。ついて来て」
 私は声を励まして、二人の中学生に言った。
「うん」
 二人の返事を聞いて、何かホッとした。
 そろそろと、力強くペダルを踏み前進した。自転車を運転するのに精一杯で、年上の中学生にどのように指示しようか、 など考えている余裕はもうなかった。風が吹いても倒れないように、曲がる時に外側に倒れないように、
「まず自分がチャンと運ぶことや」
 自分に言い聞かせて、前かがみで一生懸命漕いだ。
 冒頭の
「ああ、さかた屋が行く。もう年末やなぁ」
 という声が聞こえてきたのは、大分なれて餅製造所への道のりの半分位は過ぎたころだった。その声で、皆がついて来ているのが分かった。
「よし、これで行こう」
 何か、よりどころができたように感じて、後の道を急いだ。


 製造所につくと、はたと困った。自転車を支えてくれる人がいないのである。
 片足をついて、考えた。じわじわと重みがかかってくる。これだけの重量だと、 走っている時のほうが、安定しているいるのがよく分かる。
「さかた屋です。すんませんけど、持ってください」
 とっさに大声を出していた。直ぐに店の人が二人ほど出てきてくれた。びっくりしたような顔をして、 自転車を支えてくれた。後は夢中で、積み込んだ時とは逆に荷を解き、箱を店の中に運んだ。中学生も順次いつの間にか、箱を運んでいる。
「ついたら、どう言おうか」
 などと考えていたのが、おかしかった。


   父が先に運んでいた米の分が既に餅に仕上がっていた。何枚かの赤い伝票を渡された。考える間もなく、 伝票の日付、名前、内訳にサッと目を通す。箱の外に、チョークで名前が書いてある。経木の札に墨で名前を書いたのが、 何枚か、子餅、お重ね、のし餅などそれぞれについている。これらを頼りに、伝票どおりできているかを確かめてゆく。
 少ない分量でも家ごとに別の箱に入っている。これでは、自転車に乗せて帰るのに、箱のわりに餅が少なくて、もったいない。
「ちょっと、これもっといて」
 箱を持ってもらって、急いで次の箱の内容を確認し、経木の仕切りをもらって、入れ合わせにする。
「はい、これとさっきの分三杯、合わせて五軒分さっき持って帰って」
 気のせくまま、その出発を確かめる間もなく、伝票との照らし合わせを続ける。
「あれ、これ伝票にないのがある」
「すんません。他所のがはいってます」
 私は店の人に告げて、残っている中学生に頼む。
「これ、あそこへ持って行って」
 バタバタと持ち帰る餅を確認して、箱に詰め、
「電話借ります」
 母に持ち帰るお客さんの名前を告げ、二人で急ぎかえる。
 行きと違い、重さも軽いが、風あたりが全然違う。楽ではあるが、つきたての餅が一杯である。 ひっくり返ったりすると、大変である。また別の緊張をしながら、先発した中学生が無事帰路についたかを気にしつつ、 夕暮れの道を急いだ。


 年上の中学生を二人も連れて、沢山の餅箱を運び、できた餅を持ち帰る。ずいぶん心配し、考え込んだが、 結果としては、何の事故もなく、初の引率を無事おえることができた。ただ懸命に次々と仕事を片付けていただけで、 いろいろ考えたことがうそのようだった。


 父にして見れば、もちろん躾をするという教育的な見地もあったであろう。しかし、「背に腹は換えられぬ」と切羽詰まり、 無理を承知で、「指揮の心得」「礼儀」「率先垂範」「やればできる」と、言い聞かせたのだと思う。
 いずれにしても、その結果、小六で、とにかく中学生二人に指示をし、父の言う「指揮」ということを、 何とか成功させられたことは、私の大変な自信となった。
「やろうと思うたら、何でもできる」
「コツさえわかったら、どんなもんでも動かせる」
 考えようによれば自惚れとも言える気持ちがついてきたのである。


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