■ 計画と準備 ■
計画と準備の絵  「新楽荘の方が残っとんのに、二十八日配達が多すぎるやないか」
「新楽荘は、三十日でのうて二十八日でもええ、言うてくれて、量が多いお客さんが多いんやから、そこを先に聞かなあかんやろ」
「新楽荘の方には、そのかわり、苦餅(くもち)はいやや言うお客さんも多いんやから、二十八日に全部できんかったら、 結局三十日になってしまうで」
「結局ようけになった三十日分を夜遅くに、遠くて坂のキツイ新楽荘へ運ばなあかんことになるぞ」
「もっと、お客さんの傾向、分量、場所なんかを考えて、計画的に注文を聞くようにせぇ」


   小学五年生頃の正月餅の注文聞きをしている最中の、父の注意である。
 ちなみに、この「新楽荘」とは、元摩耶山麓にあった、池のある広大な別荘の名前である。その跡地にできた多数の家々を、 さかた屋では、そのまま「新楽荘」と総称していたのである。
 また、「苦餅」とは、二十九日に製造した餅のことで、「九」は「苦」に通じるとして家によっては、 一切受け取らないほど、嫌うところもあった。


 餅の注文を聞きに行くことも、できた餅の配達をすることも、すべて事前に「計画」を立て、「準備」をしなければならない。 どんな簡単なことでも、事前の計画なしで、行き当たりばったりで実行してはならない。どんなに簡単でも、事前の計画が絶対に要る。 きちんと計画を立てれば、必ずその計画を立てる過程で、思いもよらんことや、とんでもない考え違いをしていたことが分かってくる。
「思いつきですぐ実行したら、必ず無駄が出てくる」
「そんな無駄は、実行する前に防がないかん」
「事前に多少時間がかかっても、計画すると、その無駄が省ける」
 事あるごとに父は教えてくれた。


 そんな父の実践的な教育は、私が小学一年生、すなわち、私が父の手伝いを始めたのと同時に始まった。 毎日のパンの配達を中心とした商売の中で、そのつど問題を抜き出し、自ら手本を示して、「計画のない実行はない」ことを 繰り返し教え込んでくれた。
 私がどこまで正確に「計画」の重要性を理解していたか、特に低学年の頃については疑問である。 しかし、小学六年の頃には、どんなささいなことを実行する時でも、事前に計画を立てることが、当たり前の習慣になっていた。 広告の裏にちょっとメモする形であっても、必ず計画をするようになっていた。
 この「計画」の重要性がしっかり身についておらず、不十分であったために、冒頭のように父から注意を受けたのである。
 注文を聞くのに、十分な計画を立てないで、手近なお客さんから単純に注文取りを開始した。最終日の三十日でなく、 二十八日になるように注文を取ったのは一見よさそうである。しかし、分量が多くて、しかも二十九日の配達を嫌う新楽荘の注文が、 二十八日の注文としては受けきれず、結局最終日の三十日の注文として受けざるを得なくなった。 このため、押せ押せになって何かと忙しい最終日に、大量の餅を遠くに運ぶことになったのである。
 「お客さんの傾向、分量、場所なんかを考えて、計画的に注文を聞く」べきだった。
 こうなると、たとえ小学生でも、仕事の中で、否が応でも「計画」の重要性を肌身に感じないわけにはゆかなかった。


 おまけにこの時は、お客さんからの米の集め方にも手落ちがあり、父に注意された。
「なんでこんなに、返す袋が多いんや」
 この頃は、まだ自分の店で餅を製造するまでにはなっていなかった。お客さんから集めた餅米を専門の製造所に搬入して製造してもらい、 わずかの手間賃を得るという商売をしていたのである。しかも、餅米は、「配給」の米と、上等の米でそれぞれのお客さんが 別に購入して用意する「上白」に分かれていた。お客さんの米袋や米櫃から計量して、用意した布袋に移し変え、 名前を書いた荷札を付けるのが、注文聞きの大事な手順であった。
 この時は、お客さんから集めた餅米をいれる布の袋の準備が足りなかったのである。やむを得ず、店の袋に移しかえないで、 お客さんの袋のまま持ち帰った。その数が多すぎたのだ。パンの配達のときなどに返すにしても、朝の忙しい時に煩雑で、 忘れることもある。餅だけのお客さんも結構多いので、そんなお客さんには、わざわざ返しに行かなければならない。


 悪いことは重なるもので、
「この米は、どこのや?」
「上の山田さん」
「この袋のぶんは?」
「東の松村さん」
「ええ加減にせー。荷札はどうしたんじゃ。何を準備しとんじゃ」
 父は大きな桶へ米を空ける手を止めた。学校給食の粉ミルクの入っていた大きなダンボール製の桶を父は学校から貰ってきていた。 お客さんからそれぞれ集めた餅米は、伝票と照らし合わせて、計量しながら、「配給」「上白」と区分けした大きな桶に集める。 その時に、個別の布袋にお客さんの名前を書いた荷札がついていないと、照らし合わせができず、桶に開けられない。 一軒や二軒なら、聞いてもいられるが、何軒にもなると、作業が続かない。
「小口がおおかったから、荷札が足りんかった」
「あの辺は、子供も皆小さいから、小口なんは分かっとるやろう。それぐらい予想して準備しとけ」


 ひやひやしながら、「かんかん」という台秤で計量して、桶に米を空けていると、
「なんじゃこの伝票は。字が読めへんやないか」
「暗かったからや」
「懐中電灯は?」
「途中で消えた」
 ついに、父は仕事の手を止めた。
「準備は九、はどうした」


「準備は九、実行は一」
 父からしょっちゅう聞かされたことであった。
「どんなにええ計画でも、準備なしで、実行したんでは、考えて計画した意味がない。どんなに少のうても、 必ず実行する前には準備が必要や。準備が全体を決める。準備がきちっとできたら、もう成功したようなもんや。 実行は準備の九に比べて一ということを、よう覚えとけ」
「計画」と同様、毎日の配達の時や、商売をする中で「準備」の重要性を実地に教えられていたのである。
 注文聞きに出発する前に、ちょっと
「今度の区域は、子供が皆小さいから小口が多なる。袋を多めに。荷札もようけいる。軒数が多なると、時間がかかる。 遅うなると、懐中電灯がいる。ちゃんと電池はあるか」
 「九の準備」をすればよかったのである。何度も繰り返す注文聞きで、慣れているとは言っても、やはり準備が不十分であった。 その結果がはっきり表れたのである。


 「計画」「準備」いずれも、小学生の理解、実践の程度は高が知れていたと思う。しかし、毎日の仕事の中で実践されたから、 それが不十分な時の結果は、たちどころに無駄が多くなり、効率が悪くなって、自分にはね返ってきた。大時代な言い方をすれば、 「骨身にしみた」のである。
 厳しい生活の中、教育的見地などではなく、商売上教え込まなければならない事情があったとは思う。それにしても、 小学一年生の時から、物事の処理の仕方を、実践的に、しかもその場だけのことではなく基本的に、根気強く、 よく教えてくれたものである、と感謝している。


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