| ■ 非常呼集 ■ |
「おい、起き!栗花落(つゆり)さんへ配達に行って来い」突然の父の声に、 「はい」 と起き出して着替え、眠い目をこすりながら靴を履きだした。 「よし。もうええ。寝え」 急いでまた着替えて布団にはいった。子供心にも 「何か、物語にあるような話やなあ」 と思いながら寝たのを覚えている。 あれは、小学校二年生の冬だった。私と直ぐ下の妹は毎朝六時に起きて、パンの配達を手伝う毎日である。 そのために八時過ぎには寝ていた私が、突如父に起こされたのである。後で聞いたところでは、午後の十時か十一時ごろのことだった。 栗花落さんといえば、摩耶山の麓の大きなお屋敷である。夜中に、七才の子が起こされて、 そんなところにパンを配達などということが、なぜ起きたのか。その親の指示を、内心 「怖いなぁ」と思いながらも、 「はい」 と素直に従おうとしたのは、なぜなのだろう。 父は、一軒一軒配達をすることで、少しでもお客さんを増やそうとしていた。我々子供も毎朝六時に起床して配達をする。 前借をして商品を仕入れてやっと商売らしいものを始めたところに、店員を雇えるわけがないからである。そんなときに、 「眠たい。もっと寝たい」 「みんなと一緒に幼稚園いきたい」 「こんな小さい子に、無理や」 「朝早よから、かわいそうや」 などと言っていたのでは、「パン一斤でも配達する」という父の方針は実行できない。こんなところから、父は、 「親には絶対従う」 を家の一番大事な方針に掲げ、子供が小さかろうと、大きかろうと、どんなときにも区別なく、それを徹底した。 私などは一番上で、男であるから、常に 「長男やろ」 「一番上やないか」 その方針を徹底する先頭に立たされ、鍛えられた。 父が「親には絶対従う」を家の方針にしたのは、このように商売をする上で必要だったからだけではない。 むしろ、父の基本的な教育方針であったようである。 「ちっちゃい子供に人格がどうの、意見がどうの、言うんはおかしい」 見方によっては、極端とも言えるような考えを持っていた。 ただし、 「子供の人格のもとは、親が作ってやるもんや。親にはその大きい責任がある」 「しっかり意見が言えるように育ててやるんも、親の責任や」 「子は、親しだいや。とにかく、小さいうちに躾けなあかん。鉄は熱いうちに打て、や」 「子供にも自由がある、なんか言うて親が責任を放棄したらいかん」 父は常にそのように考え、私達に言っていた。 親には、子供をしっかり育て上げる全責任がある。きれいごとを言って、その責任を放棄してはならない。そのためには、まず子供が、 「親の言うことをきちんと聞いて、それを守る」 これが基本である、と考えていたようである。 商売の上からも、子供を躾ける上からも、「親には絶対従う」を家の方針にしていたのである。 「お父ちゃんが、あんなにしよんやから」 「お父ちゃんが言うことに間違いない」 もちろん、私達にも、絶対の信頼があったればこそ成り立ったのは、言うまでもない。 この夜遅くの起床は、その家の方針を確かめ、あわせて私の「根性」「胆力」を試した一場面だったのである。 栗花落さんの前の昼なお暗い道、通用門から勝手口への急で長い石段を思いながら、靴を履こうとした。お化けの話になると、 昼でも人の背中に背を寄せる当時の私としては、相当に決意がいったと思う。とにかく起きて着替えて靴を履きかけた。 「もうええ。お前がどうするか見たんや」 正直ほっとした。同時に、何か誇りめいたものも感じていた。 「なんで?」 などと聞いたら 「親に口応えすんな 」 と手が飛んでいたであろうか、それとも、 「情けないな」 と落胆されただろうか。おまけにあの時は、 「ちょっと遅い」 と文句を言われ、暗闇で整然となされる、軍隊の「非常呼集」と比較されたのである。小学校二年生の子に、 「非常呼集」を例に引き、それを子供が理解するというのも、極端な気がするが、 なんらそれが不思議でない雰囲気が我が家にはあった。 今から五十年近く前のことであるが、昨日の事のように思い出される。 |
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