| ■ 義務教育 ■ |
「家で勉強せなあかんのやったら、学校なんかやめてしまえ。義務教育は、学校で勉強するようになっとる」「家に帰ってからまで勉強せな、ついていけんのやったら、お前には学校は無理や。明日学校に行って、先生に、 うちの子は無理やから言うてやめさせてもらう」 すごい勢いで父は私を叱った。父の思いがけない言葉に私はびっくりして、 「もうせーへんから、行かんといて」 必死で父に頼んだ。 それは私が小学校二年生頃のことであった。六畳一間で親子五人が暮らし、勉強部屋などもちろんない。おそらく、 部屋の隅で、教科書を読んでいたか、計算問題でも解いていたのだと思う。いくらなんでも宿題をしている子供に向かって、 こんなことを言う親はいないだろう。 学校から帰ってからの夕方の配達は毎日決まったことであった。その後にまた私に何かお客さんへの配達を指示しようとして、 勉強している私に気づいたようだ。 とにかく父のものすごい形相に驚いて、私は何かとんでもない間違いをしたのではないかと、急いで勉強道具を片づけて、父に 「学校に行かせて」 と頼んだ。正直なところ、 「学校へ行きよんのに、家で勉強したらいかんのかぁ」 「お父ちゃんの言うことは、なんかおかしいんやないかなぁ」 二つの気持ちがあって、叱られた瞬間には、すぐに 「はい」 とは言えなかったが、 「いや、お父ちゃんの言うことに間違いがあるはずはない」 「あのお父ちゃんの言うことや。きっと義務教育やのに家で勉強するんは、変なことなんやろう」 父を中心に家族全員で、朝夕のパンの配達などの商売をして、懸命に生活をしているなか、私は長男としてそう考えた。 「そんな馬鹿なことはやめて」 そんな時、母は私をかばったりしなかった。今の世相から考えれば、不思議であるが、 「家族は父親を中心として、いつも助け合う。家族に秘密なし。子は親に絶対服従」 この父の方針を忠実に守り、母は、決して父の躾にその場で意見を挟むようなことはなかった。 後に成長してから分かったことであるが、ずいぶんと母も教育その他家庭のあり方について、父に意見を述べ、 時に父の方針を変更させたこともあったようである。しかし、子供たちの前で、そのような態度を見せ、父に意見するようなことはなかった。 むしろ、子供達が厳しい父にちょっとでも口応えすると、 「お父ちゃんにそんなこと言うもんと違う」 ときつくたしなめられた。このときも、もし母が、 「そんな馬鹿な」 とでも言っていたら、状況は変わっていたであろう。 農家で男五人、女五人の十人兄弟の三男に生まれた父は、家の手伝いをする合間に学校に行き、 帰宅後に勉強するなど思いもよらない生活だったようである。色々親戚の者から聞くところによると、 父は、家の仕事をし、弟や妹の世話をしながら、常に一番の成績で、級長を務めていたそうである。 そんな父の生い立ちから考えると、小学生が家に帰ってまで勉強するなどということは考えられないことだったのだろう。 こんな厳しい生活の中で、長男がノンビリと家で勉強しようとする姿勢を、今のうちに直しておかなければと、考えたのだと思う。 先生に、学校をやめさせてくれるよう、父が頼みに行くことはなんとか中止になったが、父はさらに、私に言い聞かせた。 「真剣に授業を受けて、すべて授業中に覚えてしまえ。義務教育の間の勉強くらいを学校で覚えきれんのは、真剣さが足りん証拠や」 やがて私は、先生に頼んで、自分の席を替えてもらった。座高が高いので、最後列に座っていたのを、授業がしっかり頭に入るように、 前の方の席にしてもらったのである。皆の邪魔にならないように、窓際の前から三列目になった。 その後、家で勉強することはほとんどなくなった。そのうち、不思議なもので、宿題すら家でするのはおかしいと自分でも思うようになった。 学年があがるにつれ、パンや飲み物など食料品の配達の仕事も増えて、実際宿題もできなくなっていった。 父を中心に家族が一体となって懸命に生活している中で、父から折に触れて聞かされていた、父自身の厳しい生い立ちを思い合わせ、 この父の指導を理解したのだと思う。そうして、私は学校でガムシャラに授業を受けるようになった。 |
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