■ 桃の花 ■
桃の絵  「あれ、ちょっと切らしてもらおか」
「何?」
「あそこの桃や」
「ふーん。あれが桃か」
 父は、畑の人に頼んで、桃を一枝切らせてもらった。


 小学二、三年の頃だったと思う。学校が終わってすぐ家に帰り、父の自転車の後を押して、 日課である夕方のパンの配達をほぼ終わりかけた頃のこと。
坂道ばかりの自転車での配達は、誰か後押しをしたり、話し相手になったり、一緒に配達を分担するものがいないと、 大人でもなかなかに厳しい仕事である。


 店を出発して、急な坂道をたどり最初のポイントに着いて、父は自転車を止める。そこを拠点に、 右に左に小道を縫って駆け足で何軒かのお客さんにパンを配達する。
 パン箱を積み、牛乳袋を後輪の両側に付け、前かごには、菓子類を収納すると、自転車はかなりの重量となる。 その自転車を父は気合を入れて次のポイントに押し上げてゆく。その自転車の後ろを私はひたすら押して手助けをする。
 ポイントに着くと、またひとかたまりの配達をする。こうして麻耶山の麓まで行き着くと、今後は道筋を替えて逆に坂を下りながら、 ポイントポイントで配達をしてゆく。何度かこれをくり返し、最後の下り坂の中ほどにたどり着くと、大きな桜の木がある。
 道の半ばまで枝を張り出して、格好の日陰を作っている。ここまで来ると、もう配達は終わったようなものである。夏には、
「ああ、涼しいなぁ。海がよう見える」
 道端に親子で座り込み、休憩をする。


 晴れた時は、行き交う船の向こうに大阪湾の対岸が見える。父は、
「あれは和歌山やで」
 と指差す。
 小学校の校歌の一節に「…紀伊も淡路も見ゆるなり…」とある。
 手まり歌の「…紀州の殿様お国入り…」のくだりとあいまって、小学校低学年の私にも、 「紀伊」「紀州」「和歌山」はなじみがあり、
「ふーん、あれが紀州か」
 私はちょっとえらそうに相槌をうったりした。
 あまり暑い時には、自転車の前に積んである大型の魔法瓶から、商売用のアイスキャンデーを取り出して、親子で分け合った。


 この「桃の花」の話しは、そんな大きな桜の木のところで休んでいた、ある春の日のことだった。そばの畑の隅に桃の木があった。
 食べる桃は、知っていたが、桃の花は、見たことがなかった。お雛さんの時に、桃の花を飾るということは、知識として知っていたし、 「クレヨン」で、桃の花の色は知っていても、実際の花は見たことがなかった。画用紙に桃色を塗っても、 そんなにきれいな色ではないな、という印象があった。
 父がパンを切る包丁で一枝切って、初めて「桃の花」を間近に見た。クレヨンの桃色よりは、もっと赤みがかった色で、 桜とは違い真っすぐな枝に直接花がついているのが面白い、と思った。
「ふーん。これが桃か」
「田舎でもないのに、こんな花が咲いとる」
「自然のもんを家に持って帰れる」
 何か人間の手のかかっていない生のものを手に入れたような気分がした。
 なるほど山が市街のそばまで迫ってはいたが、なんといっても神戸は大きな港町で、パンを配達するお客さんには外人も多い。 近くに畑があるのも珍しかった。そんな中で、
「桃の一枝を切る」という出来事は、小さな子供にも、実に新鮮な驚きを与えた。
「ええもんやなぁ」
 花を愛でるなどという高尚な風情ではなかったと思うが、子供心にも、何かゆとりのようなものが感じられた。 花が落ちないように大事に持って帰り、
「これ活けて」
 と母に頼んだ。母は、丸い黄みがかった花瓶にさっそく活けて、店先に飾った。母が昔、活花をたしなんだわずかな名残の花瓶に。
   若い頃俳句の会を主宰していた父の影響で、いつの頃からか、春は花見、秋は月見と、折に触れて下手ながらも俳句や、 短歌を家族で作っていた。この時も何か作ったかどうか、覚えがないが、忙しいパン配達の合間のほのぼのとした情景として、 この「桃の花」を、春になると思い出す


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